宗教法人真言宗 豊山派 不動寺

米子不動尊本坊米子瀧山不動寺・真田家子孫のお寺|日本三大不動尊、上杉謙信公護持仏

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護摩の炎の向こうに上杉謙信公が護持した本尊不動明王の「安心なさい」と言った励ましが聞こえてくる・・・

 

真言宗豊山派 同行二人お大師さまとともに

 

真言宗豊山派仏教青年会

 

総本山長谷寺

 

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不動寺血縁名皇族 名僧
 

崇仁親王妃百合子(たかひとしんのうひゆりこ 1923~)
 

崇仁親王妃百合子
崇仁親王妃百合子(たかひとしんのうひゆりこ 1923年6月4日)は、日本の皇族で、三笠宮崇仁親王の妃。旧名は高木百合子(たかぎゆりこ)。身位は親王妃。皇室典範における敬称は殿下。お印は桐。

昭和16年(1941年)、女子学習院本科(現学習院女子中等科・高等科)を卒業。同年10月3日、納采の儀を経て婚約。1同年10月22日結婚の儀。2年6ヶ月後の1944年4月26日に第一女子、内親王が生まれる。その後、寛仁親王、桂宮宜仁親王、容子内親王、高円宮憲仁親王が誕生。
高木家は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、江戸時代は河内国丹南藩1万石の大名であった。母・邦子は入江為守子爵の娘で、弟に侍従長・エッセイストとして有名な入江相政がいる(百合子の叔父にあたる)。入江家は藤原北家の支流。冷泉家の流れを汲み、中世の大歌人藤原俊成や藤原定家を祖先とする歌道の家だった。現・当寺副住職の祖父眞田方秀(さなだ ほうしゅう)の従兄弟に当たる。

 

金山穆韶(かなやま ぼくしょう 1876~1958)
 

金山穆韶
富山県新川郡大山町文殊寺に生まれる。
明治21年、得度。同34年、高野山大学卒業。同38年、母校の教授になり、50年間勤務。
大正2年より21年間、奥の院日参。同8年、高野山天徳院住職。同13年、泉智等より学修灌頂。同年、阿波太龍寺において求聞持法を修す。
昭和4年までに事相野沢十二流八十四方を伝承。同年、同15年、同20年の3回、八千枚護摩を修す。同5年、和田大円より具支灌頂、翌年、瑜祗灌頂。同9年、高野山宝寿院門主・専修学院院長。
同15年、高野山大学学長。同28年、金剛峯寺座主・高野山真言宗管長。肉食妻帯せず、事相・教相の奥義をきわめ、徳望は内外に聞こえた。
主著に、『弘法大師の仏教観』『秘蔵宝鑰の大綱』『真言密教の教学』『弘法大師の信仰観』『日本真言の哲学』『真言密教の教理史』『大日経の綱要』などがある。現・当寺副住職の祖父眞田方秀(さなだ ほうしゅう)の叔父に当たる。

 

竹前惠龍(たけまえ えりゅう 1918~2014)
 

竹前恵龍
旧姓:眞田幸雄(さなだ ゆきお) 大正7年愛知県知多に生まれる。
昭和9年、得度。19歳で伝法灌頂。専修学院を経て、大正大学・仏教学部卒業。真言宗豊山派・本山特派布教師。真言宗豊山派・宗会議員、平成8年に大僧正就任。平成7年に全国民生委員社会福祉協議会、厚生大臣賞、平成8年に文部大臣賞、平成12年に藍綬褒章を受賞。
愛知県稲沢市中之庄辻畑 中之庄山満願寺無量光院住職を45年間・名誉住職を17年間務めた。病床に於いても、最後の最後まで真言密教の何たるかを信徒に知らしめ愛宗護法の精神を貫いた。
※無量光院は奈良県桜井市初瀬 真言宗豊山派総本山長谷寺の第2世性盛化主を輩出。国の重要文化財の阿弥陀三尊・西暦1202年慶派仏師寛慶の造立。脇仏不動明王立像・毘沙門天王ともに県・市の文化財を所有し恵龍大僧正台下は無量光院第38世。無量光院は愛知県の古刹である。
現・当寺住職の父親・当寺の副住職を昭和18年より10年間就任、長野県上高井農学校〜長野県須坂農業高等学校(現・須坂創成高校)にて教諭を務めた。